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2018年3月27日火曜日

タクシーモハメッド 完

 こうして、アフガニスタン人、クルド人らと毎日放射線治療に通ううちに、未知だったアフガニスタンの観光要所を知りw、バーミヤンの遺跡復興にアフガニスタン人もかなり興味を持っていることを知り、Facebookにおける世界中のアフガニスタン人ネットワークの中心となっているのがタクシーモハメッドの運転手と知り、その他いろんな興味深いことを知りました。そうこうしているうちに私の治療も最終日となり、嬉しいやら淋しいやら。特に一番多く送迎してもらったAさんには、「寂しくなるなあ…」とぽつりと言われ、こちらも寂しくなりました。そのアレフさんに聞いてみました。「いつも思っていたんだけど、Aさんのタクシー会社のカードや、車の側面には《タクシージャン》って書いてあるけど、タクシーモハメッドじゃないの?」「まさか!社長の名前はモハメッド・ジャン、だけどタクシーモハメッドなんて名前にしたら誰も電話してこなくて商売あがったりだよ。」
 え?まさに私なんですけど…タクシーモハメッドをあえて選んで電話したのは…爆笑

2018年3月21日水曜日

タクシーモハメッド5

  結局、治療中の送迎の運転手で一番回数が多かったのは、社長さんではなくアフガニスタン出身のAさんでした。年齢が私と近いこともあって、いろんなことを話しました。Aさんにはとっても美人な奥さんと、3人の息子がいます。一番上の息子さんはイタリア人のハーフ女性と結婚するらしいそうです。絵に描いたような若い美しいカップルで、お父さんのAさんが自慢するのも無理ありません。嫁はカトリックでいいの?と聞いたら、そんなの当然じゃないか、俺の息子が選んだんだから大丈夫だと言っていました。
 Aさんのみならず、タクシーモハメッドの中東出身の運転手さん達から聞いたかれらのイスラム教徒としての世界観は、全くもって健全でした。たとえば、女性のスカーフについてAさんいわく、「なんで美しい髪の毛を隠さなきゃいけないんだ?アホな男のせいだ。」とのこと。まったくもって同感。
 また、かれらのテロリストへの怒り、そのおかげで「外国人」のうえに更に太字でいらないレッテルを貼られていること。その怒りは並々ではありませんでした。ヨーロッパ中右寄りになってきた今日此の頃、ドイツもその勢いは増すばかりです。変にインテリぶった右寄りの政治家は、90年初頭のネオナチブームの若者達よりタチが悪い気がします。更に難民問題で中東出身、ブロークンなドイツ語というだけで眉間にしわを寄せる人間はいます。私も時々外国人蔑視態度には合いますが、彼らよりはその回数はだいぶ少ないと思います。放射線治療の待合室で、高齢のドイツ人女性にどのタクシー会社を使っているの?と聞かれ、「タクシーモハメッド。アフガニスタン系のタクシー会社でおすすめよ。」と言ったら、もろに嫌な顔をされました。しかし、そこで引き下がったらだめなんです。ちゃんとその反応に嫌悪感と人種差別をする人間を見て驚いたというはっきりした態度をとらなければいけません。w もちろん私はちゃんとそういった反応を全身で示したので、まずいと思ったその女性「あ、そうね、考えとくわ。あはは。」と、突然いい人ぶりを始めましたが時すでに遅し。相手が間違っていましたね…w
 モハメッドさん以外の運転手さん達も、世界中を転々としていたことには変わりなく、国が崩壊して脱出したら無事終了、ではなかった彼らの苦労話は、私たち日本人が理解できるものではない過酷なものです。ちなみにこのAさんは国籍はアフガニスタンのままだそうです。いまじゃどこにでも行けるし、問題ないよと言っていました。年に一度故郷でサフラン農家をやっているお母さんを訪ねるのがとっても楽しみなんだそうです。私は意外に思ったのですが、彼らなんども里帰りをしています。カブール以外はどうにか帰れるような環境にあるそうです。続く…

2018年3月16日金曜日

タクシーモハメッド4

 二日目。家の前に止まったメルセデスの高級リムジン。知り合いでこんな高級車を持ってる人間がいたかな?と首をかしげながら、外からはよく見えない遮光車窓中をみると、知らないおじさんが「シュヴァルツさん早く乗って。」と言っているっぽい。「まじ?これで行くの?」と思わず日本語がでます。乗ってみると、なーんだ昨日の運転手さんでした。
 「すごいね、この車」「こんな車で放射線治療に行くなんて聞いたことないよ。」「これもタクシーなの?」と矢継ぎ早に言葉を放つ私に明らかに冷ややかな対応をする運転手さん。??? あれ、なんか変なこと言っちゃったかな。ま、いいか。外国人とのちょっと気まずい雰囲気を打破しようとドイツ人がよく放つ言葉「で、ドイツっていう国のことどう思う?」が、思わずでてしまいました。苦笑 しかし、これが発火点になろうとは…
 「そうだよ、俺の車だよ。俺が何年も朝から晩まで死ぬ思いで働いて買った車さ。この苦労をドイツ人の連中は知らないんだ。知らないくせに、俺みたいな外国人がこんな車に乗っているというだけで、アホみたいな嫉妬をしてくる。この車の登録に行ったときなんか、担当の公務員のババアが思いっきり嫌な態度をとりやがった。本当にあんたの車なの?みたいな目で見る。おまけにこんな車に乗れて幸せだと思った方がいいわよ、と説教までしやがる。頭にきて言ってやったよ、あんたも俺みたいに他人から何言われても顔色ひとつ変えずに朝から晩まで働いたら同じ車買えるよ。って。」と、一気に語る運転手さん。なるほど…あ!!そっか、「運転手さん、もしかしてモハメッドさん?このタクシー会社の社長さん?」「そうだよ。」すべてに合点がいきました。ここから彼の会社設立に至るまでの話が始まりました。本当にすごいな、偉いなしか言葉が出ない苦労話ばかり。外国人ならではの苦労話も盛りだくさん。彼はまさにゼロからこの会社を立ち上げ、今やリムジンも揃え、運転手10人を抱えるタクシー会社の社長として自らハンドルを握っているのでした。本当に感心。ドイツ社会を支えているのはまさに彼らのような外国人労働者。右寄りの傍観者連中よ、モハメッドさんの爪のアカを飲ませてもらって仕事をしろ!といいたい。ここには書けないような苦労話や経験をきかせてもらいました。祖国アフガニスタンを思う気持ちもです。ニュースでは伝わらないようなびっくりする話も…今では、祖国に帰るという希望は捨てたので、奥さんと話し合ってドイツ国籍を取得したそうです。と、彼の身の上話を聞いているうちにあっという間に往復の約50分はあっという間に過ぎていきました… 続く
 

2018年3月14日水曜日

タクシーモハメッド3

 50代前半くらいの中東方面出身とおもわれるきちんとした身なりの運転手。保険会社と医者からもらった書類をみせ、大学病院までとお願いして走り出しました。すると「何科?」と聞かれ「婦人科」と答えると、「じゃあ15号棟ね」と即答。「ずいぶん詳しいですね。」とびっくりすると、「だって仕事だから。」と自信満々。タクシーなんて滅多に乗らないし、大学病院入り口門まででOKと思っていたので、広い大学病院敷地内の建物直前まで運んでくれるとは想像もしていませんでした。「今日は写真撮るの?」と聞かれ、定期的に撮られるMRTのこととわかった私は「今日は撮らない。毎週火曜日って先生が言ってた。」というと、「わかった。じゃあ今日はすぐ終わるね。」とのこと。感心している私にまた、「だってこれが俺の仕事だから。」とまた自信満々。文字にすると彼の様子がうまく伝わりませんが、彼の応答はとても紳士的で決して俺様調ではありません。そのため、私はすっかりこの運転手に興味津々になってしまいました。
  そこで、海外に住む外国人の特権として(私が特権と勝手に思っているw)、同じ外国人に直球でいろんなことを質問し始めました。「私は日本から来たんだけど、どっから来たの?
 」 「アフガニスタン」「何年ドイツに住んでるの? 」「24年、君は?」「イタリアも合わせると23年」「アフガニスタンのどこ出身?」「カブール」「家族は?」「みんな一緒に海外に出た。」と、話がはじまりました。「ドイツの前には、ロシアとカナダにいたよ。」とのこと。現在息子の一人はカナダで政治を勉強しているとも。政治に疎い私にはドイツ、ロシア、カナダと、彼の口から出て来る国名とその繋がりに考えを巡らしていると、「私の父は日本の大学院で政治を勉強していたよ。」と、さらに日本まで飛び出てきました。「だから小さい頃は日本にも少し住んでた。名前忘れたけど東京の近く。」私があっけにとられていると、「普通だよ、アフガニスタン出身の人間はみんなこんな感じ。」そうなんだ…知らなかった。
なんだか政治絡みのアホな質問をして運転手さんを傷つけてしまいそうな気がしたので、とりあえず無難な質問をしてみました。「国籍は今ドイツ?」と質問した直後に、どこが無難な質問だよ、おいっ!コラ!と後悔しても時遅し。「ドイツだよ。アフガニスタンは捨てた。」あーあ、やっちゃった…多分琴線に触れてしまったろうな…と猛省した瞬間に、「君は?」と聞かれ「日本のまま」と答えました。この典型的な応答の次に来るであろう言葉「日本ならそのままでいいよね」を聞く準備をしていると、意外にも「なんで?選挙権もらえないじゃん。」そう来るか〜… と、思案している間に、タクシー無線連絡が立て続けに入り、その会話は私の知らない言語で(アフガニスタン語)で明るく飛び交い、横で聞き耳を立てているうちに病院前に到着しました。続く…(多分あと3回くらい!読んでくれてる人ありがとう!w)

2018年3月12日月曜日

タクシーモハメッド2

 タクシーモハメッドの話の続きです。癌患者と認定されると、放射線治療や化学療法のための病院通いにあたりタクシー代が支給されるという話を前回しました。このシステムをすべての人間が利用しているとは限りませんが、私は利用することにしました。そのはじめに、保険会社からタクシー会社のリストが患者に渡されます。そこには約30余りの近郊タクシー会社の名前、住所、電話番号が記載されています。そこから自分で選び予約をとるわけです。一度決めたらずっとその会社を利用します。他の会社との併用も可能でしょうが、手続きに必要な書類を集めるのが面倒なので一会社以上利用する人は、ほとんどいないでしょう。
 さあ、どの会社にしようか。日本と同じでタクシー会社の名前は「(県名)交通」とか「(苗字)タクシー」とかそんなものばかりです。まずは、家から近いタクシー会社を選び電話をすると、1軒目すでにこの先1ヶ月予約で満車。2軒目は電話が繋がらない。3軒目も満車。4軒目も満車。と、思うようにいきません。満車が3社も出てくると、今まで知らなかったタクシー会社事情がちょっと見えてきて作戦変更することにしました。ここまでは、家から近く無難な名前のタクシー会社に電話をしていましたが、ドイツ人がおそらく電話しないであろうタクシー会社に当たるべし! リスト中央部に目に付いたのは「タクシーモハメッド」。これだ。家からも近い。そこで電話をすると、案の定外国人訛りのドイツ語の男性が即応。明日からすぐ予約可能とのこと。声の感じもいいし、病院のことや、治療の流れまでよく知っている。こりゃいいやと即決。翌日予約時刻きっかりに来たのはアフガニスタン出身の運転手でした。続く…

2018年3月1日木曜日

また地雷踏みました。

 せっかく癌サバイバーとして復帰した矢先、また地雷を踏んでしまいました。治療も終わり、誕生日祝いも兼ねて南ドイツの小さなスキー場を家族と訪れた時のこと。かれこれ3週間前になります。今回は滑らずに雪道散歩だけにしておこうと思っていたのに、青空をみて気が変わり滑ったところ、前に飛び出してきた子供二人を避けるために顔面から硬い斜面に猛打。眼窩底骨折で先週金曜日に手術を受けました。今回ばかりはさすがの私も撃沈です。タクシーモハメッドのはなしはボチボチ書きますね。

2018年2月16日金曜日

タクシーモハメッド

(いつもの悪い癖でブログのアップデートをしないまま何日も経ってしまったので、こ今回は消さずにアップします。2月6日に書いたものです…) 
 放射線治療が終了しました。日本、ドイツでは通常5週間の治療のところ、私は臨床試験に参加し3週間で終わりました。アメリカなどでは3週間がスタンダードなのだそうです。ドイツもいづれ3週間になるだろうとのことでした。放射線治療経験者から聞いていたような副作用はなく、日焼けした感じだけで、疲労感も何もなく、日に日に元気になっていくのを実感しています。手術後、絶望的に恐れていた右腕が元のように動かない感じも今ではなく、普通に野球コーチとして復帰しています。もちろん、気にならない程度のつる感じはありますが特筆するにはあたりません。
 ドイツでは癌患者が放射線治療や化学療法に通院するのにあたり、保険からタクシー代が支払われます。保険会社から近所のタクシー会社30件ほどのリストが渡され、そのうちの一件を選びます。私が選んだタクシー会社とは… (読んでくれている人がいると仮定してw続く)